2100年 夏

日本の農業の将来について妄想を膨らませてみました

第1回 暑い夏

 私は農家の出身ではありませんが、農業に関係する仕事をしていました。日本の農業は産業規模を縮小しています。その主な理由は後継者がいないことです。そのまた奥にある理由は労働がきついわりに収入が少ないことです。しかし、農業は食料を生産するという人類にとって必要な事業ですから何らかの形で続きます。30年後の農業について考えてみました。なお、このブログの大部分は5年以上前に発想したものです。従って、新型コロナもロシアによるウクライナ侵攻も想定していません。だから今読むとすごく楽観的に見えます。言いたくないけど「昔はよかった」。

 

77年後がどうなっているか想像する上で重要な要因は

  • 気候変動
    平均気温は上昇する。日本の場合 幸運にも砂漠化は起こりそうにない。しかし、台風と集中豪雨が増える一方で干害も起こるだろう。日本の気候は荒々しくなっていく。
  • 温暖化防止策
     温暖化は誰の目にも明らかとなり、温暖化などないと主張する某国保守派も沈黙せざるを得なくなる。世界的に温暖化防止の動きが加速する。再生エネルギー利用、電気自動車など。
     原子力発電は火力発電代替の主力にはならない。なぜなら、老朽化原子炉の廃炉、使用済み核燃料の廃棄処理など後始末のコストを考慮すると経済的に見合わないからである。開発コストも後始末コストも国家に依存して運転コストが安価にできているように見せかけているが、ごまかすのも限界があるだろう。
     太陽光、風力、水力、地熱など再生可能エネルギーは元々大規模発電には向いていない。小型の発電装置で個人家庭や農場など小規模施設が使用する電力の大部分をまかない、足りない部分を大規模発電で補填する形が合理的と思われるが、大規模発電・大規模供給に依存することに慣れた社会にうまく普及するか不安がある。電力会社は彼らのビジネスモデルを守ろうと必死に抵抗するだろうし、これら小規模発電が一般的になるのは2050年より先になるかもしれない。

  再生可能エネルギー

  •  将来人口減少、人口流出で地方が過疎化すると、農場や牧場は市街地から離れたところにポツンとあるといった状態になるだろう。そんなところに電線を引くよりも太陽光、風力、小川や用水を利用した小型水力で電力を自給自足した方が合理的なところが多くなると思う。
     私は機械の専門ではないので、小型風力や小型水力の発電装置を作ることのコスト及び難易度はわからない。しかし、これまで素人が難しいと思うことも機械の専門家は簡単に作ってしまうことを何度か目にしてきたので、中小企業や大企業のプロ集団に期待する。 
  • 人口の減少
     2100年になると日本の人口は2020年代の半分以下になると日本政府は発表している。しかし、この見方は楽観的でしょう。また人口減少そのものよりも地方から都市部への人口流入の方が地方にとって重大です。そうなると地方の農地、住宅地が放棄されることになる。日本の風景は今とはだいぶ違ってくるでしょう。
  • 補助金の減少
     普通に考えると支出が収入を大きく上回る状態が続いているので国家財政が破綻してもおかしくない。このまま日銀が国債投資信託を買い続ける、つまり事実上通貨の増刷を続ければ、政府と日銀が望むようにインフレが起きるかもしれない。これらは大地震のようなもので「いつか起こる。しかし、いつ起こるかわからない」と思う。一部の経済学者は絶対大丈夫と言い続けている。しかし、収入より支出の方がはるかに大きいのに大丈夫と言う理屈は私には理解できない。とりあえずこのまま補助金ばらまきの行政が続けられるとは思えないので補助金減少を前提にする。
     ちょっと余談ですが、ある農家が「子供には農業を継がせたくない。なぜなら補助金無しでは経営できないからだ。補助金とは言わば生活保護のようなもの。最初から生活保護を前提とするような仕事を子供に継がせられるか。」と自虐的に言っていた。
  • 成長は期待できないが社会に必要な業界・業種で働くモチベーション 
     人口は減少するので食料の需要も減少する。従って、農業全体は必然的に縮小する。それに伴い肥料、農薬、農業機械等の農業資材を製造する産業も規模縮小する。しかし、これらの産業は人類が生存する上で必要なので存続させなければなりません。売上が減少することが明らかな状況で働く人のモチベーションは保てるのだろうか?これは以後の各論の中で書いていくつもりである。  

 さて、この話は農業資材販売員の繁茂君が農場を訪問して歩くという筋立てにします。

 東京の気温は今日も40℃を越えた。繁茂君はトラムに乗り込んでほっと息をついた。車内の温度は28度に調整されている。一昔前なら暑いと文句が出そうだが、暑さに慣れた体にはこれでも心地よい。トラムはエネルギーを節約するためにゆっくりと走り出し、やがて時速100kmを越えた。東京の街は人通りも車の往来も少ない。
 2100年になると日本の人口は目に見えて減少してきた。東京一極集中により東京の人口は増え続けたが、この時期になると東京も高齢化が進み熱中症のリスクを承知で出歩く人は少ない。道路を走る自動車のほとんどは運搬用の大型車だ。乗用車は電気自動車だが高価だし、走行距離が限定されるので、都内の移動は地下鉄やバスを使うことが多くなっていた。

 繁茂君は日本に点在する緑島と呼ばれる農業地帯を回って行く。  

緑島=Green Islands 

 農業からしっかりと利益を得るためには規模拡大が必要である。しかし、ある程度農地がまとまっていないと効率的に耕作できない。そのような農地が確保できる場所は日本にはそう多くない。航空写真で見ると農地が島のように点在して見えるので、農業地帯は緑島と呼ばれるようになった。
 そのような大規模農業の労働力は中国や東南アジアから来た外国人に依存せざるを得なくなっていた。他の産業においても人口の減少による労働力不足は顕著で移民の受け入れは不可避となっていた。しかし、国防上の理由で外国人の土地取得は強く制限された。従って、農場主・地主は日本人、実際の経営と労働は外国人が行うのが一般的な農場の構図だった。緑島という呼称も中国人が言い始めたことだ。

  この見方は楽観的過ぎるかもしれない。日本人は差別体質が強い。田舎のコミュニティがよそ者を嫌うことはしばしばある。日本人間でも差別があるのに、そんなところが外国人を受け入れるだろうか。少なくとも、外国人主体で経営する農業法人は地域から受け入れられるためにも日本人の地域有力者がサポートする必要があるだろうし、多少の嫌がらせにも耐えられるようにそれなりの規模があるところになるだろう。そのような条件に合う場所はますます少なくなる。しかし、農業だけでなく他の産業においても言えることなので、外国人を受け入れないと日本は縮小する。スポーツ分野では肌の色も顔かたちも違うハイブリッドな人々が日本人として認識されつつある。これがいい傾向であると思いたい。

 緑島は作物の種類、地域によっていろいろ特徴がある。そのいくつかを見ていこう。

 

予定 第2回 カイダ式電子農業 AIロボットにより管理された稲作農業

   第3回 九十九里太陽の会 精神を病んだ人々を農作業で回復させる農場

   第4回 ノマド カントリークラブ 放棄されたゴルフ場で行う牧畜

 

 この内容は冒頭にあるように5年以上前に発想したものなので、新型コロナが入っていません。こればかりは思いつきませんでしたし、今でもこれがどうなるか予想できません。しかし、飲食業や旅行業には深刻な影響が残る可能性がありますが、衣・食・住という人間の生存に必要な部分はそれほど変わらないと思います。言わば新型コロナは人間生活の「ハレ」の部分に打撃を与えたということです。「ハレ」以外の「ケ」の部分はその規模も価値も変わるはずがありません。

 さらにロシアがウクライナに侵攻しました。21世紀なのに19世紀のような戦争が始まりました。つまり この200年間 人類は全く進歩していませんでした。私の妄想は人類が少しは進歩することが前提ですので、最初から間違っていたことになってしまいました。うつ病になりそうです。

 従って、第2回以降がいつ発表できるかわかりません。このシリーズはこの1回だけで終わってしまうかもしれませんが、誰か発想を刺激された方がおられれば幸いと思って発信してみます。