2100年 夏

日本の農業の将来について妄想を膨らませてみました

第6回 繁茂君の田舎生活

 人口が減少すると前の世代が所有していた不動産がより少ない人数に引き継がれる。つまり後の世代の人たちには必要・不必要に関わらず不動産が集まってきてしまうのだ。繁茂君も田舎に小さな土地を相続している。市街化調整区域なので家は建てられなかったのが、ようやく規制が外れた。と言うよりも規制そのものが無くなってしまった。そこで小さな別荘を建てることにした。彼もご先祖の遺伝子を引き継いでいてご先祖と嗜好が似ていたようだ。

 しかし、市街地から離れているので電気、ガス、上下水道を引くだけでとてつもない費用がかかる。そこでこれらを引かずエネルギーと水の自給自足を目指すことにした。

 電気はマイクロパワープラントでなんとかする。この頃は太陽光、風力、水力を使う装置が市販されていた。2100年には蓄電池の性能も上がっている。それらを総合して不便ながらエネルギーは充足できる。煮炊きには電力だけでは不足なのでLPG(プロパン)のボンベを時々買ってこなければならない。もちろん山の枯れ枝も燃料になる。「爺さんは山へ芝刈に」せっせと行くので家の周辺の山林は里山に近くなってきた。問題は水だ。結局 井戸水が手に入らないところでは快適な生活はできない。このように小さな家でも初期費用はかなりかかる。しかし、その後の電気代、水道代はかからない。

 課題は生活へのIn-putだけではなくOut-putにもある。下水とゴミである。生活排水は浄化槽で処理して流す。設置費用を含まない装置だけの価格は2023年で100万円程度らしい。

 ゴミの処理は手間がかかる。ゴミ回収車が定期的に来てくれることはない。燃えるごみは自分で燃やす。ダイオキシン問題があるので灰を拡散することはしない。生ごみは地面に戻す。幸い埋める場所はたくさんある。不燃ゴミ、粗大ごみは処理場に持って行くか、回収に来てもらうのだが有料になる。こんな状態なので大量購入・大量消費の生活はやる気にならず、必然的にSDGsになる。

 年に10~20日しか滞在しないので、蓄電や貯水ができてゴミも排水もそれほどでない。なんとか快適に住むことができる。ただし、滞在時間のかなりの部分はマイクロパワープラントや上下水設備の整備や山への芝刈に取られる。こういう雑務を嫌がる人は田舎には住めない。

 繁茂君の祖先が樹々草花を植えた土地は森林化してしまっている。いろいろな樹種があるので自然林ではないことは一目でわかる。樹々が繁茂して日光を遮断しているので雑草はそれほど生えず草刈りはほとんど不要である。繁茂君はこの土地の樹々を切り倒すのは惜しいので、わざわざ隣地を購入して家を建てた。隣地の地主はこの場所に全く興味が無かったので安価で購入できた。

 下の写真は繁茂君のご先祖が樹々を植えた場所の左は2018年5月、右は2023年8月の状況。これが80年後にはどうなるかと言うお話です。(木にも寿命があるので、これらは枯れて他の樹種に交代しているかもしれません。)

 

 繁茂君は時々椅子を持ち出してこの奇妙な雑木林でじっとしている。高原なのでやぶ蚊は滅多にいない。ご先祖は花と実をつける樹を主に植えたので小鳥が頻繁に来てうるさいほどだ。花の季節には蜂と蝶が来る。今日はこの土地のヌシであるアオダイショウが出現してゆっくり足元を這って行った。

 この樹々を植えたご先祖はこれでご満足なのだろうか。

 

第5回 緑の島の未来

  日本の人口の推移

 日本の人口が1億人を越えたのはそんなに昔のことではない。これを見ると江戸時代に人口は3倍近く増加し、明治・大正・昭和にかけてさらに2倍になっている。奈良時代や江戸時代に飢饉が頻発したのは天候のせいばかりではなく、食糧生産が人口の急増に追いつかなかったためと考えられる。そして近代の人口急増は食料輸入によって凌いだのである。

 そして50年後に日本の人口は約半分になり100年後にはさらに減って明治維新の頃にに近くなる。これは日本政府による予想である。政治的理由で甘めの数字にしているはずなので、おそらく実際はこれより早く減少すると思われる。

 以上の2つの資料、過去の経緯と未来の予測を合成すると以下のようなグラフになる。

 人口の面からだけ見ると日本は20世紀初頭の世界に戻ろうとしていると見える。しかし、その頃には人々は中山間地を含め日本全域に散らばっていた。食糧の自給自足が普通だったので人は生きるためには面積が必要だったからである。将来の社会が自給自足になるとは思えない。従ってほとんどの地域は過疎になり、その中に市街地が点在するようになるだろう。

 養老孟司氏は少子化はシミュレーションできないと言っている。ひょっとしたらそれが正しいかもしれない。内閣府少子化社会白書を出したのは20年も前である。第2章 なぜ少子化が進行しているのか: 子ども・子育て本部 - 内閣府 (cao.go.jp)

 読んでみると中央官僚はさすがに秀才ぞろいだけあって分析は全く正しいと思う。しかし、分析が正しくても有効な対策・政策が打てなかったことは現在の状況が示している。なお、この少子化社会白書では後半の大部分をすでに進行中の政策の紹介に終始している。「ヤッテルゾ ヤッテルゾ」と言いたいのである。


東京一極集中

 人口は急激に減少するのだが、それよりも地方から都市部への人口の移動が顕著になるだろう。今は東京一極集中が進み、東京中心部の再開発、集中投資が続いているので、東京の中心部に住んでいる限り人口の減少は実感されていないと思われる。日本政府が少子化問題に対し、相変わらず補助金バラマキしかアイデアが無く、イマイチ本気ではないように見えるのは、この理由によると思われる。

 私の予想では東京一極集中もオリンピックをピークに流れが変わり、不動産価格の下落が始まるはずだった。この予想は完全に外れた。相変わらず東京はマンション価格の高騰に象徴される再開発の嵐が続いている。しかし、大阪万博などという時代錯誤のイベントが失敗し、これをきっかけに2025年から日本のバブル崩壊が始まると私は懲りずに予想している。 

 地方に中枢都市を設けることで東京一極集中はある程度抑えられるはずだ。1987年に策定された第四次全国総合開発計画で「札幌市」「仙台市」「広島市」「福岡市・北九州市」の五つの都市が中枢都市に指定された。日本人は歴史的に選択と集中が下手である。例えば仙台を中枢都市に育てるということは、盛岡や秋田は投資の優先度を下げるということだ。しかし、盛岡や秋田を地盤とする政治家たちはそんなことは許さず全力で投資を引いて来ようとするだろう。結局 限られた原資を多数の都市が奪い合い分け合うことにしかならず、中途半端なサイズの都市が乱立することになる。なお、中枢都市という言葉を作り出した第四次全国総合開発計画は失敗したと総括されているようである。中枢都市などという言葉は誰も覚えていない。地方の政治家は日本全体のためには選択と集中が必要であることは理解はしても実行することはないだろう。

 結局 このままでは東京一極集中は止まらない。

 地方の風景

 農業は食料を生産する産業である。産業は利潤を追求ことが目的なので「見映え」の優先度は低い。何もわざと汚くする必要はないのだが、特に水田の風景は大きく変わるかもしれない。農薬や肥料の処理に大型トラクターを使うと方向転換するところで稲を踏み潰すことになる。水稲の畝をきれいにそろえる必要もない。特に直播栽培では生育がバラバラになる。要するに美しい農村風景は過去の遺物となる可能性が高い。棚田のような栽培形態は労力がかかりすぎるので、産業ではなく文化財として維持しないと消滅するだろう。人口が少なくなれば必要な食料の量も減少する。従って、わざわざ作りにくいところで農業を行う必要はない。作りやすい所で集中的に農業がおこなわれるはずで、中山間の傾斜地は放棄されるだろう。大山千枚田/鴨川市/千葉県公式観光情報サイト-まるごとe! ちば-

 (この写真はインターネット「まるごとe!ちば」より採取した鴨川市大山千枚田

 地方は過疎化し少数の地方都市を除いて空き家と耕作放棄地ばかりの風景になるだろう。

 2021年の日本の人口は1.2億人、その中で農業人口は130万人。つまり、農業人口は既に約1%しかない。国内総生産では農業は0.79%。これで見ると農業人口はもっと減少しても良いし減少して農家の規模を拡大した方が良いだろう。しかし、農水省も全農も農家に対して農業をやめて農業法人に耕地を集約しなさいなどと言えないでしょう。やはり「経済の見えざる手」が頼りなのである。

 2100年には耕作放棄地や放棄された住宅地が広がる中で農業法人がAIロボットを使って耕作している農地が点在しているというのが私の空想である。

 

 

 

 

第4回 ノマド カントリークラブ

 ゴルフ場跡地での放牧

 日本は山間地、傾斜地の多い国であり、農耕地に使える土地が少ない。諸外国の場合は山間地は牧畜に使うのであろうが、日本は雨量が多く樹林化してしまうので放牧がしにくい。一方 日本には2500か所以上のゴルフ場がある。ゴルフというスポーツが無くなるとは思わないが、2500か所はいくらなんでも多すぎる。そこで閉鎖・放棄されたゴルフ場を活用する方法が模索された。(写真はインターネットから採取)これは格安】土日が3,300円!関東の安いゴルフ場ランキング ...

 牧畜に適したゴルフ場はそれほど多くない。畜産は糞尿の処理が必要で、そこから出る悪臭は避けられない。従って市街地から遠いことが必要条件。また、18ホールではなく36とか72ホールを持つ規模の大きなコースが望ましい。(写真はインターネットから採取) さくら牧場

 繁茂君のレンタカーは山中のスカイラインに入った。スカイラインとはいい名前を付けたものだが、実際はヘアピンカーブの連続である。そこを自動運転の車は電気の節約のためスピードを抑えて走る。加速と減速を最小限にするため乗りごこちは良い。

 豪勢な門をくぐるとゲストハウスがある。今は1階は牛小屋、2階が事務所になっている。廃業したゴルフ場の大部分はメガソーラーにするか何もしないかで終わっていた。ゴルフ場を牧畜に転用したコースはまだ全国に3か所しかなく、それらはまだ採算ベースに乗っていない。その可否は生産される肉の質にかかっていた。

(写真はインターネットから採取。なお、右側の写真はマザー牧場

 茶臼山ゴルフ倶楽部 ブナの嶺コースの予約と周辺のゴルフ場 ... 自然豊かな「マザー牧場」で秋の休日を楽しむ♡ | 華組 松ヶ崎由紀子のブログ | 華組ブログ | Web eclat 

 繁茂君の電気自動車は事務所(元ゲストハウス)に近づいた。ここでもカイダが近寄ってくる。農業用よりも体が一回り大きく、しかもスタンガンを持っているので車から降りるのは危険だ。職員の指示を待つ。

 職員はここでも外国人が多い。欧米系の白人が馬に乗って現れたのには驚いた。10人の従業員がいるが、みんな人種が違う。それぞれ家畜の種類と牧草・草地管理で担当分けしている。エリアつまりホールごとにも担当を決めていて、例えばA氏は羊と5-6番ホールの担当となっている。

 家畜は人になついてくる。しかし、ペットでは無いので出荷する時が来る。単純な収穫の喜びとは違う。畜産は独特のメンタリティーが必要で、農耕民族である日本人より牧畜民族に合っているかもしれない。

 畜産の最大の問題点は休みが取れないことだと思う。農業は農繁期と農閑期があるので集中的に働き集中的に休むことができる。動物は食事も排泄も休んでくれない。一つの家族で畜産業を行うと一生家族旅行には行けないことになる。しかし、2~3家族が共同すれば交代で休むことができる。実際に2020年代でも畜産業には農業法人が多い。

 日本の気候風土に合う放牧

  イギリスでは家畜を放しておくだけで草原ができる。日本は雨が多く湿度が高いので放牧だけでは安定した放牧地はできないだろう。

 ここで飼育している家畜は牛、豚、羊、3種類。それらに牧草栽培を組み合わせホールごとにローテーションする。家畜だけを集中的に飼うと排水が富栄養化して公害問題になりかねない。一つのホールを例にとると、まず秋~冬に麦を蒔く。ゴルフコースは芝生用除草剤の何年も使用してきたので初めのうちはイネ科作物しか作れない。まだ麦が柔らかいうちに羊を入れる。羊は麦畑を草原のようにしてしまう。次に豚を入れると豚は土をほじくり返して泥田にする。羊と豚の糞尿で富栄養化した土地にトウモロコシを植える。トウモロコシは家畜の飼料とする。そのあとに牛を放牧し、翌春に再度豚を投入し掘り起こさせた後にマメ科牧草のアルファルファを植え、そこに牛又は羊を投入するといった具合だ。(このローテーションは実施できているわけではありません。単なるアイデアです。試行錯誤が必要と思います。)放牧と言っても労力がかかる。放牧と放置は違うのである。

(写真はインターネットから採取した放牧豚)

健康な豚=美味しい豚 | 朝霧高原放牧豚 「富士山いい豚ショップ」

 ここで飼育した家畜は運動量が多いので脂肪分が少ない。これまで日本人が好んできた霜降りではなく、タンパク質に富んだ赤肉である。特に豚肉は豚小屋で育てたものよりも良質である。この肉質の評価に成功の可否がかかっている。

 また、家畜の移動をスムーズに行う方法も改良の余地がある。ここでもAIロボットのカイダが活躍する。畜産用のカイダは農業用よりも体が大きく動きも早く設計されていた。それでも家畜の誘導にはロボットより犬の方が優れている。そこで犬とカイダがチームを組みカイダは牧童の役割になり犬を使って家畜を誘導する。ゴルフ場はホールからホールへ移動するためのカート道が設置されている。これが家畜の道になるのだが全ホールをスムーズに回るようにできているので畜舎との行き来にはショートカットしなければならないことが多い。

  カイダが1台 泥にはまってしまった。すぐに2台のカイダが集まってきて脱出させた。AIはその程度の判断はできるようになっていた。

 野生動物との闘い

 最大の問題はここでも猪、猿、熊など野生の動物の侵入である。コストはかかるがゴルフ場時代に張り巡らした電気柵を補修して活用していた。これが破られた場合はカイダと犬が対抗する。そのためここのカイダはスタンガンを装備していた。しかし、牛は集団になるとそこそこの戦闘力があるし、豚も先祖が猪であるだけにそれなりに強いので野生動物も用心して近づいてくる頻度は少ない。日本には狼のような大型肉食獣がいないので助かっている。ここは本州なのでヒグマがいないことも大きい。

 ここでもマイクロパワープラントで太陽光、風力、水力をフル活用。

 ゲストハウスに近い18番ホールは南向き斜面だったので全面メガソーラーにして牧場のエネルギーの大部分をまかなっていた。地面を羊に除草させるためにここのメガソーラーは通常よりも背が高い。また、風の通り道にあたるところには風力、かってはウォーターハザードだった池からの水路には水力の発電所があり、これらはカイダの充電用にしていた。

 

 草地からの毒草の除去

 毒をもつ植物は数多い。草が生えるのを自然に任せると家畜が毒草を食べないので毒草ばかりになってしまう。奈良公園アセビの林になってしまったのと同じ理屈だ。従って耕起を豚だけに任せるわけにいかず、定期的に機械力で掘り起こして雑草を根絶して牧草を蒔かなければならない。自然に任せると全てうまく行くわけではない。

 この写真はギシギシと言う名前の雑草である。特に強い毒があるわけではないがシュウ酸を含んでいるので家畜の健康には良くない。この植物の種は家畜の消化器官を通過しても死なずかえって発芽率が良くなる。牧草地に家畜を放しておくとやがてギシギシの草原になってしまうことがある。この雑草は多年生で根部が生き残ると再発する。従って除草剤をスポット散布して根絶する必要がある。ここでカイダが活躍する。ギシギシをねらって除草剤を噴霧するのだ。土壌に残らない除草剤を使えば耕起後に牧草を蒔くことができる。これが繁茂氏の商売のタネである。この農場は農薬も肥料も使ってくれないのでこの除草剤しか売るものが無い。

畑の雑草図鑑〜ギシギシ編〜【畑は小さな大自然vol.37 ...

 林地の活用

 ゴルフ場の利点は場内に森林もあることである。温暖化によって家畜にとっても日除けが必要になる。海外では家畜による森林の破壊が問題になっているようである。日本では雨が多くて雑草の発生が旺盛なので下草が無くなって砂漠化するとは思えないが、家畜の数は適正に抑えるべきだろう。ここでは家畜をホールごとに移動させ、森林や草地を適度に休ませる工夫をしている。贅沢な土地の使い方であるが、このようにしないと持続可能にはならない。規模が必要なのだ。(この写真はインターネットから採取しました。なお、日本ではありません)

 黒牛の Kebler パス、コロラド州の林床における放牧します。 の写真素材・画像素材. Image 14377337. 黒牛の Kebler パス、コロラド州の林床における放牧します。 の写真素材・画像素材. Image 14377337.

 牛、豚及び一部の羊にはマイクロチップが埋め込まれていて位置を特定できるようになっている。そうでもしないと少人数で多数の動物の管理はできない。なお、羊は群れを作るので全部の羊にチップを埋め込む必要はない。Stray Sheepは実際にはほとんど出ない。カイダはこのチップからの電波を基に家畜を追跡することができる。

気候が温暖化しても多分砂漠にはならない日本の幸せ

 世界の中には温暖化によって砂漠化する地域がある。例えばオーストラリア。元々 この国は実際は三日月形をしていると言われていた。つまり、内陸部は乾燥しすぎていて人はとても住めないので西と東の海に近い部分しか国土は無いと思った方がいい。しかし、その三日月がだんだん細くなっている。中国も黄土高原の緑化はいろいろ試みられてきたが結局砂漠化して日本にまで黄砂をまき散らすことになった。日本は豪雨と干害が繰り返されるだろうが砂漠化はしないだろう。この豪雨をうまく溜め込むことが必要だが、ダムよりも森林の保護が重要だろう。かっては森林は木材の生産地とみなされてきたが、今後は水と空気を浄化するところとみなされるべきである。しかし、林野庁は相変わらず森の木を切り続けている。一方、環境保護団体は森の下草を除去して里山を再現しようとしているが、水と空気を浄化する機能を最大化するのは美しい里山でなくても良い。産業としての農業あるいは畜産は美観とは相容れない場合がある。

 放牧地とするならゴルフ場跡地が雑木林に遷移する前にとりかからねば

 日本の気象条件下では雑木林が最も安定な状態である。つまりゴルフ場は放置すれば最終的に雑木林になる。この写真は閉鎖して10年後のゴルフ場の光景だが、まだ山林にはなっていない。時間がたって普通の山林になると開墾作業が大変になるだろう。それほど時間の余裕はない。(写真はインターネットより採取)

川西市】川西ゴルフクラブ跡から一の鳥居駅へ | 路面と勾配 川西市】川西ゴルフクラブ跡から一の鳥居駅へ | 路面と勾配

 繁茂君の電気自動車はまたスカイラインと称するクネクネ道を降りて行った。下り坂はほとんど発電だけなので気が楽だ。繁茂君としては大きなビジネスではなく、失敗するリスクもあるので、頻繁に訪問することはないだろう。しかし、過去には無い、新しい日本の風景が出現する期待はあった。

 

第3回 九十九里太陽の会/ 精神のリハビリ 働く喜びのための農業

 働く喜びとは

 仕事はお金のためだけに行うものではない。働く喜びが収入よりも重要になる場合もある。ところが30~40年前から顕著になった格差の増大によって低収入で劣悪な労働環境で働かされ「働く喜び」など絵空事でしかないという人々が増えてきた。2050年になるとAIの進化及び外国人労働者との競争という新しい要素も加わった。単純労働をAIが行うことになると人々は創造的であることを求められる。外国人にも優秀な人材がいる。この状況下で社会における居場所を無くし精神を病む人が多くなってきた。

  頭脳労働はAIが肉体労働は人間が行う。スイカの収穫。

 作物の中でも稲や麦はロボットで植付や収穫ができるかもしれないが、野菜や果樹の収穫はロボットでは難しいだろう。病害虫の発生予察及び防除計画、肥料の調整、作業計画などはAIが行い、剪定、移植、収穫作業など実際の作業は人間が行うという、言わば頭脳労働は機械が行い、肉体労働を人間が行う逆転現象が起きていた。もちろんこの分野でもカイダは活躍していた。人間とカイダがチームで働くと言っていいだろう。

 注:カイダ=CAIDA : Coordinated AI Droids for Agriculture  AI付きの農業用ロボット

 収穫の喜びは他の業種では得られないものらしい。社会での競争に疲れた人々が、農業に従事することによって精神の安定を取り戻す現象が広く知られるようになった。このことは都市部から地方への人口のUターンをわずかながら起こしていた。それでもAIと人間のコンビネーションで生産性が高いので、これら人々のメンタルのリハビリを副次的な目的とする農場は野菜、果樹の消費量の約半量を生産していて無視できない分野になっていた。 

 小型風力発電

 繁茂君の電気自動車は野菜栽培の農場に入って行った。野菜の農場は都市近郊に多い。ここは房総半島の東側 九十九里浜平野と呼ばれている地域である。かっては2時間近くかけて東京都市圏へ通勤する人々のための住宅地が広がっていたが、もっと東京に近い所に住宅が簡単に確保できるようになって広大な地面が放棄された。その一部を使って農場がいくつかできていた。

 海に近く風が強いのでそれを利用して風車がたくさん回っている。30~40年前にさかんに建設された巨大風車ではなく高さ3mくらいの小型のものだ。気象の変動で台風が増加してしかも巨大化しているので、その強風に耐える巨大風車はコストがかかりすぎる。農場と民家で使用する電力くらいは常に風が吹くこの地域であれば小型風車を10機ほど作れば足りる。 小型風力発電|人と水と都市をつなぐ太三機工株式会社

 これら写真は現在でも市販されている小型風力発電装置である。縦型とプロペラ型があるが縦型の方が風向きに関係なく回るのでプロペラ型よりも合理的ではないかと思う。将来はもっと奇抜なアイデアが出てくるかもしれない。

 科学と宗教

 この農場は宗教団体によって管理されていた。科学が進歩する世界で宗教を必要とする人々が増えていた。確かに人々はパソコンやスマホを使いこなしているが、機械にしてもアプリにしてもそのメカニズムを理解できている人は非常に少数である。AIに至っては電子回路の中で何が起こっているか、それを作ったエンジニアにも理解できなくなっていた。従って、ほとんどの人にとってデジタル装置の内部は神秘の世界なのである。同様に社会経済のメカニズムもほとんどの人は理解できていない。昔の人は森羅万象の中に神の存在を感じたが、この頃の人々はサイバー空間や都市の雑踏の中に超自然の存在を感じていたのだ。

 新しい宗教

 建物の前に3mほどの観音らしき像が立って微笑んでいた。この像は聖母マリアと観音とアマテラスのイメージを合体させたものだ。この宗教の創始者は世界中を旅したあげく、あらゆる宗教の根底に女神の存在を感じ、それが大自然の象徴であるとの霊感を得たと言う。聖母マリアはヨーロッパに古代から伝わる地母神信仰をキリスト教に取り込んだもので、このことによりカトリックはヨーロッパの人々の支持を得ることに成功したと考えらえる。観音はジェンダーを超越した存在なので単純ではないが、神(如来)と人間の間を取り持つ存在であり、神と人の間にあるもの、すなわち自然を体現している。アマテラスは太陽の神であり、自然を成立させるエネルギーの源である。

  朝と夕に巫女が女神に祈りを捧げるのだが、その時手に巨大な屹立した男根を持っていた。これは新しく生まれた奇習ではない。1万年も前の縄文時代にも男根は生殖と繁栄の象徴であって石柱として立てられ崇拝されていた。決して卑猥では無く太古から続く神聖な儀式なのだ。今でも性器のモデルを祭礼に使う風習は日本各地にある。

 この写真は房総半島先端の野島崎近くにある厳島神社境内にある男根モニュメントとシャコガイ

(写真はインターネットより採取)

 愛知県小牧市田縣神社の祭礼。写真はインターネットより採取したものを加工)  

 繁茂君は質素な応接間で農場の購入担当者と面談した。この応接間の奥の扉に向こうには、女神や男根さらには女神と男神が交接している歓喜天像があるのだが、それは信者以外が見ることはない。

 この写真は上野国立博物館で行われたチベット仏教展(2022年9月)に出品されていた歓喜天。男女の仏が新しい仏を産み出そうとしているとされる。男の仏が女の仏を抱きながら邪鬼を踏みつけている。

 人口の減少は生物としての人類のエネルギーが減衰しているとも考えられる。この宗教は原始に戻って生物としての力を取り戻そうとする運動であった。

旬の野菜はたくさんの人が作るので安価でもうからない。しかし、旬の野菜を作る

 今は真夏なので梨とスイカの収穫が始まっていた。収穫の風景は昔と同じである。違うとすれば、収穫物を入れるカゴを運んでいるのがAIロボット(カイダ)であるということくらいである。面白いのはここのカイダは会話機能がついていることだ。ここの作業員はカイダを同僚あるいはペットのように扱っていた。

 この農場の主力である温暖な気候を利用した施設栽培のハウスは今は空である。気候の温暖化にもプラスな面があり、ハウスを密閉して水を入れると水温が50度にもなり、土壌殺菌・殺虫になる。

 露地の葉物野菜は害虫の密度が下がる9月中旬以降に植付が始まる。このように季節に合わせた栽培を行うと他の地域と収穫時期が重なるので高価格はつけにくい。しかし、ここの人たちはそんなことには無頓着で自然に合わせた栽培にこだわっていた。伝統的な農業では病害虫が少ない時期を選んで栽培を行ってきた。それが旬である。白菜や大根は秋冬に採れ、キュウリは夏に採れる。それが最も自然に近い農法なのだ。従って旬の栽培では農薬が少なくて済むので繁茂君にとってはそれほどいいお客さんではない。

 

帰り道にて

 振り返ると農場の出入り口を示す鳥居の向こうに静かな田園が広がっていた。かっては日本のどこにでもあった風景が、実態は全く変わってしまっていたにせよ、ここには残っていた。(写真はインターネットより採取)

立派な鳥居のTwitterイラスト検索結果。

第2回 カイダ式電子農業 AIロボットを使った稲作

  繁茂君は駅から農場までは電気自動車を使った。電気自動車の弱点は走行距離と充電にかかる時間である。2100年代には相当改良されたもののガソリン車やハイブリッド車には及ばない。そこで長距離移動には列車を使い、現地近くでレンタカーを借りるのが一般的な旅行のスタイルになっていた。

緑島の経営

 大部分の緑島(農場のこと)は中国人などアジア系の外国人が管理している。国防上の理由で制定された法律により 彼らは土地を所有することはできないが、事実上の経営は彼らに任されていた。この頃は労働力不足でいろいろな産業で外国人が働いていた。

 注:2020年代の時点でも外国人労働者無しでは成り立たない産業があります。そこでは留学生を使っています。このようなゴマカシは外国人に対する差別に他ならず恥ずかしいことだと思います。この背景には外国人は何としても受け入れるべきではないとする勢力が、しかも権力者側に一定数いるので、彼らをゴマカス必要があるのです。

 繁茂君が向かったのは稲作に特化した農場である。この農場では500haの水田を3人のベトナム人が管理している。彼らの風貌は農民というよりも電子技術者だ。

コシヒカリの移植栽培一辺倒からの脱却

 稲は湿地帯の植物ではあるけれど水草ではないので水没すると枯れてしまう。従って水田の水の深さを特に田植え直後は1~3cmに保つ必要がある。このように精度の高い水平な地面をトラクターを運転して作らなければならない。日本のように平野が少なく、平野にも傾斜がある地域では高い技術を必要とする。これまでは熟練の技で行っていた耕起作業を、この時代はAIを搭載した農業機械が行っている。それでもたった3人で500haを管理するのは機械だけではなく農業技術的にも最先端の方法を用いていた。作業を集中させずに農繁期を拡げて農閑期を少なくする工夫である。そのポイントは

①早生と晩生の品種を使うこと、

②直播栽培と移植栽培の両方を使うことであった。

 コシヒカリだけを移植栽培するだけのやり方では作業時期が集中してしまい規模拡大に限界がある。今は夏なので晩生の田植が済んでやっと長い農繁期が終わった。この短い農閑期を利用して大型機械の修繕とAIロボット カイダのメンテナンスを行わなければならない。

 大規模稲作とは美田をあきらめる事

 規模拡大した農地は、かっての1ha単位の農地とは、見た目が大きく違っている。昔の政治家は日本の農業を守らねばならぬ理由として日本らしい風景の保存を挙げている。それは作物が美しく整列して植えられていることが前提である。ところが大規模化し、生産性・収益性を重視すると見かけなどかまっていられなくなる。例えば農薬や肥料の処理に大型機械を使うとその機械は当然ながら作物を踏み潰しながら進むことになり、圃場の端でUターンすると端の部分は大きく潰される。また、直播栽培では稲の生育は移植栽培ほどそろわない。種の発芽に時間差があるからだ。従って直播栽培の水田は凸凹になる。要するにこの頃の水田は昔ほど美しくないのである。

 AIロボット カイダ登場 CAIDA Cordinated AI Droids for Agriculture

 繁茂君は駐車場に車を置き事務所まで歩いて行った。すると水田の稲をかき分けてカイダが数体現れてピーピーと警報を鳴らしながらついてきた。下の図はおなじみのR2D2

です。カイダもこんな感じの機械だと思って頂ければ。

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 カイダは CPUを複数持つ人工知能ロボットで CAIDA Cordinated AI Droids for Agriculture というのが正式名。原型はビルの警備用に作られたロボットである。防犯カメラだけではどうしても死角ができるので、小型ロボットを巡回させてビルを警備する。ロボットは乱数表に基づいてコースを決めるので動きは予測不可能。侵入者を見つけたら警報を鳴らしスタンガンで攻撃する。もちろんカイダはスタンガンは外してあるが侵入者を警戒する機能と警報装置は持っている。従って顧客に対しても警報を鳴らしながらついてきてしまうのだ。しかし、この頃は放棄された農地や住宅地で繁殖するイノシシやサルなどによる鳥獣害が病虫害などより深刻なので、この機能は役に立っていた。500haの耕地を電気柵で囲うよりもロボットで追い払う方が簡単で有効だった。

 除草はカイダが稲と雑草を見分けて引き抜く。病害虫もカイダが見分け局部的に農薬を吹き付けるか、被害を受けた稲を除去して病害虫が拡大しないようにする。当初はAIの学習に手間取り、雑草ではなく稲を引き抜いてしまうカイダが多数出た。この調整には2年以上かかった。人間でもイネと主要雑草のヒエを見分けるには熟練を要する。カイダは休憩時間が不要なので充電時間以外は1日中働き続ける。

 下の写真は左がヒエ(ノビエ)、右がイネである。このイネは移植(田植したもの)であり、ヒエは土壌表面の種子から発芽するので、生育ステージが明らかに異なり判別できる。しかし、直播栽培(育苗と田植を省略し水田に直接種もみを蒔く)だとイネとヒエが同時に発芽するので、この判別は非常に難しい。

雑草ヒエ(ノビエ) | 農業害虫や病害の防除・農薬情報|病害虫 ... 稲の苗[00556010324]の写真素材・イラスト素材|アマナイメージズ

 再生可能エネルギー=小型水力発電

 この地域は山からの雪解け水が豊富で農業用水には苦労しない。水路のところどころに水車小屋があり、そこが小型水力発電所になっていた。カイダたちの電源はそれだ。彼らは電池が切れかけると自動的に水車小屋に行って充電し、また作業に戻って行く。写真は栃木県今市の工業高校が試作した渓流を利用した発電装置。

機械なので休む必要がなく夜間でも働き続ける。最大の問題は年々増加する雷である。今日も雷警報が出た。カイダたちは作業を中断しガレージへ急ぐ。かって雷警報が出遅れて、カイダたちが雷に打たれたことがあった。

それ以来 カイダたちの行動がおかしいとベトナム人たちは言う。AIは非常に複雑だし、学習機能や修復機能があって修繕はとても難しい。特に作業に支障はないのでそのままにしてある。雷雨が去って日が射してきた。するとカイダたちがあぜ道に並んで夕日に向かって整列した。これがベトナム人たちが言う変な行動だった。カイダたちは日が沈むまでじっと動かなかった。AIが夕べの祈りを捧げているようだった。

(この写真はインターネットより採取)ロボットが夕日の前の棚に座っています。 | プレミアム写真

そして、彼らは薄闇の中 作業のために水田の中へ散って行った。

 農業資材業界の変化

 繁茂君の仕事は農薬・肥料など農業資材の販売である。30年前に比べると市場規模は大幅に縮小している。農業自体の規模の縮小が最大の理由だが、カイダが言わば手作業で草や虫を取ってしまうので農薬の使用が最小限になったことも大きい。今日の商談は追肥・穂肥の供給である。これにしてもカイダが稲の根元に正確に落とすので最小限の量で足りるようになっていた。なお、元肥や農薬の基幹防除(基本的に必要な処理。いもち病やニカメイチュウやウンカの防除は全面的に農薬を散布して病害虫密度を下げないとカイダによる局部処理だけでは追いつかない)は大型機械を使う。

 農薬はほとんどがジェネリックになっていて価格はかっての半額くらいになっていた。AIが防除計画を作るので繁茂君たち営業マンの仕事はAIに入力するデータの供給だった。昔との大きな違いは混合剤が無くなったことである。昔は農家が使いやすいようにメーカーが農薬成分のカクテル製剤を作っていた。農家一人一人が農薬成分の特徴を把握するのは困難だったからだ。水稲除草剤がその代表であり、膨大な数の製品があるもののその成分は似たりよったりだった。今は成分それぞれを水に懸濁しやすいような製剤にして、それをAIが混合して使用するようになっていた。

 下の写真は絵具の小瓶でインターネットから採取したもの。将来の除草は雑草の種類に応じて成分をカクテルして使うようになる。業界用語ですが混合剤が消滅し、単剤だけになるとの空想です。

ナカガワ 日本画用岩絵具 鳳凰 48色 水千絵具 12色 画材 小瓶 (岩絵の具)|売買されたオークション情報、ヤフオク! の商品情報をアーカイブ公開  - オークファン(aucfan.com)

 製品数が少なくなり、それぞれの製品の製造規模は大きくなるので製造コストは下がる。従って、メーカーは売り上げが大幅に減少したが、利益はギリギリ確保できていた。ただし、メーカーの数は大きく減少した。

 

 農場を去る時 後ろを振り向くと カイダたちがつける小さなライトが広い水田のあちこちで動いていた。最近になって増えてきたホタルも見える。今晩は新月だった。上空から見れば緑島は光の渦に見えただろう。

(この写真は愛知県設楽町の水田。ネットから採取)

シーズン到来、ホタル楽園を大切に 保護条例5年目の設楽町:中 ...

 

第1回 暑い夏

 私は農家の出身ではありませんが、農業に関係する仕事をしていました。日本の農業は産業規模を縮小しています。その主な理由は後継者がいないことです。そのまた奥にある理由は労働がきついわりに収入が少ないことです。しかし、農業は食料を生産するという人類にとって必要な事業ですから何らかの形で続きます。30年後の農業について考えてみました。なお、このブログの大部分は5年以上前に発想したものです。従って、新型コロナもロシアによるウクライナ侵攻も想定していません。だから今読むとすごく楽観的に見えます。言いたくないけど「昔はよかった」。

 

77年後がどうなっているか想像する上で重要な要因は

  • 気候変動
    平均気温は上昇する。日本の場合 幸運にも砂漠化は起こりそうにない。しかし、台風と集中豪雨が増える一方で干害も起こるだろう。日本の気候は荒々しくなっていく。
  • 温暖化防止策
     温暖化は誰の目にも明らかとなり、温暖化などないと主張する某国保守派も沈黙せざるを得なくなる。世界的に温暖化防止の動きが加速する。再生エネルギー利用、電気自動車など。
     原子力発電は火力発電代替の主力にはならない。なぜなら、老朽化原子炉の廃炉、使用済み核燃料の廃棄処理など後始末のコストを考慮すると経済的に見合わないからである。開発コストも後始末コストも国家に依存して運転コストが安価にできているように見せかけているが、ごまかすのも限界があるだろう。
     太陽光、風力、水力、地熱など再生可能エネルギーは元々大規模発電には向いていない。小型の発電装置で個人家庭や農場など小規模施設が使用する電力の大部分をまかない、足りない部分を大規模発電で補填する形が合理的と思われるが、大規模発電・大規模供給に依存することに慣れた社会にうまく普及するか不安がある。電力会社は彼らのビジネスモデルを守ろうと必死に抵抗するだろうし、これら小規模発電が一般的になるのは2050年より先になるかもしれない。

  再生可能エネルギー

  •  将来人口減少、人口流出で地方が過疎化すると、農場や牧場は市街地から離れたところにポツンとあるといった状態になるだろう。そんなところに電線を引くよりも太陽光、風力、小川や用水を利用した小型水力で電力を自給自足した方が合理的なところが多くなると思う。
     私は機械の専門ではないので、小型風力や小型水力の発電装置を作ることのコスト及び難易度はわからない。しかし、これまで素人が難しいと思うことも機械の専門家は簡単に作ってしまうことを何度か目にしてきたので、中小企業や大企業のプロ集団に期待する。 
  • 人口の減少
     2100年になると日本の人口は2020年代の半分以下になると日本政府は発表している。しかし、この見方は楽観的でしょう。また人口減少そのものよりも地方から都市部への人口流入の方が地方にとって重大です。そうなると地方の農地、住宅地が放棄されることになる。日本の風景は今とはだいぶ違ってくるでしょう。
  • 補助金の減少
     普通に考えると支出が収入を大きく上回る状態が続いているので国家財政が破綻してもおかしくない。このまま日銀が国債投資信託を買い続ける、つまり事実上通貨の増刷を続ければ、政府と日銀が望むようにインフレが起きるかもしれない。これらは大地震のようなもので「いつか起こる。しかし、いつ起こるかわからない」と思う。一部の経済学者は絶対大丈夫と言い続けている。しかし、収入より支出の方がはるかに大きいのに大丈夫と言う理屈は私には理解できない。とりあえずこのまま補助金ばらまきの行政が続けられるとは思えないので補助金減少を前提にする。
     ちょっと余談ですが、ある農家が「子供には農業を継がせたくない。なぜなら補助金無しでは経営できないからだ。補助金とは言わば生活保護のようなもの。最初から生活保護を前提とするような仕事を子供に継がせられるか。」と自虐的に言っていた。
  • 成長は期待できないが社会に必要な業界・業種で働くモチベーション 
     人口は減少するので食料の需要も減少する。従って、農業全体は必然的に縮小する。それに伴い肥料、農薬、農業機械等の農業資材を製造する産業も規模縮小する。しかし、これらの産業は人類が生存する上で必要なので存続させなければなりません。売上が減少することが明らかな状況で働く人のモチベーションは保てるのだろうか?これは以後の各論の中で書いていくつもりである。  

 さて、この話は農業資材販売員の繁茂君が農場を訪問して歩くという筋立てにします。

 東京の気温は今日も40℃を越えた。繁茂君はトラムに乗り込んでほっと息をついた。車内の温度は28度に調整されている。一昔前なら暑いと文句が出そうだが、暑さに慣れた体にはこれでも心地よい。トラムはエネルギーを節約するためにゆっくりと走り出し、やがて時速100kmを越えた。東京の街は人通りも車の往来も少ない。
 2100年になると日本の人口は目に見えて減少してきた。東京一極集中により東京の人口は増え続けたが、この時期になると東京も高齢化が進み熱中症のリスクを承知で出歩く人は少ない。道路を走る自動車のほとんどは運搬用の大型車だ。乗用車は電気自動車だが高価だし、走行距離が限定されるので、都内の移動は地下鉄やバスを使うことが多くなっていた。

 繁茂君は日本に点在する緑島と呼ばれる農業地帯を回って行く。  

緑島=Green Islands 

 農業からしっかりと利益を得るためには規模拡大が必要である。しかし、ある程度農地がまとまっていないと効率的に耕作できない。そのような農地が確保できる場所は日本にはそう多くない。航空写真で見ると農地が島のように点在して見えるので、農業地帯は緑島と呼ばれるようになった。
 そのような大規模農業の労働力は中国や東南アジアから来た外国人に依存せざるを得なくなっていた。他の産業においても人口の減少による労働力不足は顕著で移民の受け入れは不可避となっていた。しかし、国防上の理由で外国人の土地取得は強く制限された。従って、農場主・地主は日本人、実際の経営と労働は外国人が行うのが一般的な農場の構図だった。緑島という呼称も中国人が言い始めたことだ。

  この見方は楽観的過ぎるかもしれない。日本人は差別体質が強い。田舎のコミュニティがよそ者を嫌うことはしばしばある。日本人間でも差別があるのに、そんなところが外国人を受け入れるだろうか。少なくとも、外国人主体で経営する農業法人は地域から受け入れられるためにも日本人の地域有力者がサポートする必要があるだろうし、多少の嫌がらせにも耐えられるようにそれなりの規模があるところになるだろう。そのような条件に合う場所はますます少なくなる。しかし、農業だけでなく他の産業においても言えることなので、外国人を受け入れないと日本は縮小する。スポーツ分野では肌の色も顔かたちも違うハイブリッドな人々が日本人として認識されつつある。これがいい傾向であると思いたい。

 緑島は作物の種類、地域によっていろいろ特徴がある。そのいくつかを見ていこう。

 

予定 第2回 カイダ式電子農業 AIロボットにより管理された稲作農業

   第3回 九十九里太陽の会 精神を病んだ人々を農作業で回復させる農場

   第4回 ノマド カントリークラブ 放棄されたゴルフ場で行う牧畜

 

 この内容は冒頭にあるように5年以上前に発想したものなので、新型コロナが入っていません。こればかりは思いつきませんでしたし、今でもこれがどうなるか予想できません。しかし、飲食業や旅行業には深刻な影響が残る可能性がありますが、衣・食・住という人間の生存に必要な部分はそれほど変わらないと思います。言わば新型コロナは人間生活の「ハレ」の部分に打撃を与えたということです。「ハレ」以外の「ケ」の部分はその規模も価値も変わるはずがありません。

 さらにロシアがウクライナに侵攻しました。21世紀なのに19世紀のような戦争が始まりました。つまり この200年間 人類は全く進歩していませんでした。私の妄想は人類が少しは進歩することが前提ですので、最初から間違っていたことになってしまいました。うつ病になりそうです。

 従って、第2回以降がいつ発表できるかわかりません。このシリーズはこの1回だけで終わってしまうかもしれませんが、誰か発想を刺激された方がおられれば幸いと思って発信してみます。