2100年 夏

日本の農業の将来について妄想を膨らませてみました

第3回 九十九里太陽の会/ 精神のリハビリ 働く喜びのための農業

 働く喜びとは

 仕事はお金のためだけに行うものではない。働く喜びが収入よりも重要になる場合もある。ところが30~40年前から顕著になった格差の増大によって低収入で劣悪な労働環境で働かされ「働く喜び」など絵空事でしかないという人々が増えてきた。2050年になるとAIの進化及び外国人労働者との競争という新しい要素も加わった。単純労働をAIが行うことになると人々は創造的であることを求められる。外国人にも優秀な人材がいる。この状況下で社会における居場所を無くし精神を病む人が多くなってきた。

  頭脳労働はAIが肉体労働は人間が行う。スイカの収穫。

 作物の中でも稲や麦はロボットで植付や収穫ができるかもしれないが、野菜や果樹の収穫はロボットでは難しいだろう。病害虫の発生予察及び防除計画、肥料の調整、作業計画などはAIが行い、剪定、移植、収穫作業など実際の作業は人間が行うという、言わば頭脳労働は機械が行い、肉体労働を人間が行う逆転現象が起きていた。もちろんこの分野でもカイダは活躍していた。人間とカイダがチームで働くと言っていいだろう。

 注:カイダ=CAIDA : Coordinated AI Droids for Agriculture  AI付きの農業用ロボット

 収穫の喜びは他の業種では得られないものらしい。社会での競争に疲れた人々が、農業に従事することによって精神の安定を取り戻す現象が広く知られるようになった。このことは都市部から地方への人口のUターンをわずかながら起こしていた。それでもAIと人間のコンビネーションで生産性が高いので、これら人々のメンタルのリハビリを副次的な目的とする農場は野菜、果樹の消費量の約半量を生産していて無視できない分野になっていた。 

 小型風力発電

 繁茂君の電気自動車は野菜栽培の農場に入って行った。野菜の農場は都市近郊に多い。ここは房総半島の東側 九十九里浜平野と呼ばれている地域である。かっては2時間近くかけて東京都市圏へ通勤する人々のための住宅地が広がっていたが、もっと東京に近い所に住宅が簡単に確保できるようになって広大な地面が放棄された。その一部を使って農場がいくつかできていた。

 海に近く風が強いのでそれを利用して風車がたくさん回っている。30~40年前にさかんに建設された巨大風車ではなく高さ3mくらいの小型のものだ。気象の変動で台風が増加してしかも巨大化しているので、その強風に耐える巨大風車はコストがかかりすぎる。農場と民家で使用する電力くらいは常に風が吹くこの地域であれば小型風車を10機ほど作れば足りる。 小型風力発電|人と水と都市をつなぐ太三機工株式会社

 これら写真は現在でも市販されている小型風力発電装置である。縦型とプロペラ型があるが縦型の方が風向きに関係なく回るのでプロペラ型よりも合理的ではないかと思う。将来はもっと奇抜なアイデアが出てくるかもしれない。

 科学と宗教

 この農場は宗教団体によって管理されていた。科学が進歩する世界で宗教を必要とする人々が増えていた。確かに人々はパソコンやスマホを使いこなしているが、機械にしてもアプリにしてもそのメカニズムを理解できている人は非常に少数である。AIに至っては電子回路の中で何が起こっているか、それを作ったエンジニアにも理解できなくなっていた。従って、ほとんどの人にとってデジタル装置の内部は神秘の世界なのである。同様に社会経済のメカニズムもほとんどの人は理解できていない。昔の人は森羅万象の中に神の存在を感じたが、この頃の人々はサイバー空間や都市の雑踏の中に超自然の存在を感じていたのだ。

 新しい宗教

 建物の前に3mほどの観音らしき像が立って微笑んでいた。この像は聖母マリアと観音とアマテラスのイメージを合体させたものだ。この宗教の創始者は世界中を旅したあげく、あらゆる宗教の根底に女神の存在を感じ、それが大自然の象徴であるとの霊感を得たと言う。聖母マリアはヨーロッパに古代から伝わる地母神信仰をキリスト教に取り込んだもので、このことによりカトリックはヨーロッパの人々の支持を得ることに成功したと考えらえる。観音はジェンダーを超越した存在なので単純ではないが、神(如来)と人間の間を取り持つ存在であり、神と人の間にあるもの、すなわち自然を体現している。アマテラスは太陽の神であり、自然を成立させるエネルギーの源である。

  朝と夕に巫女が女神に祈りを捧げるのだが、その時手に巨大な屹立した男根を持っていた。これは新しく生まれた奇習ではない。1万年も前の縄文時代にも男根は生殖と繁栄の象徴であって石柱として立てられ崇拝されていた。決して卑猥では無く太古から続く神聖な儀式なのだ。今でも性器のモデルを祭礼に使う風習は日本各地にある。

 この写真は房総半島先端の野島崎近くにある厳島神社境内にある男根モニュメントとシャコガイ

(写真はインターネットより採取)

 愛知県小牧市田縣神社の祭礼。写真はインターネットより採取したものを加工)  

 繁茂君は質素な応接間で農場の購入担当者と面談した。この応接間の奥の扉に向こうには、女神や男根さらには女神と男神が交接している歓喜天像があるのだが、それは信者以外が見ることはない。

 この写真は上野国立博物館で行われたチベット仏教展(2022年9月)に出品されていた歓喜天。男女の仏が新しい仏を産み出そうとしているとされる。男の仏が女の仏を抱きながら邪鬼を踏みつけている。

 人口の減少は生物としての人類のエネルギーが減衰しているとも考えられる。この宗教は原始に戻って生物としての力を取り戻そうとする運動であった。

旬の野菜はたくさんの人が作るので安価でもうからない。しかし、旬の野菜を作る

 今は真夏なので梨とスイカの収穫が始まっていた。収穫の風景は昔と同じである。違うとすれば、収穫物を入れるカゴを運んでいるのがAIロボット(カイダ)であるということくらいである。面白いのはここのカイダは会話機能がついていることだ。ここの作業員はカイダを同僚あるいはペットのように扱っていた。

 この農場の主力である温暖な気候を利用した施設栽培のハウスは今は空である。気候の温暖化にもプラスな面があり、ハウスを密閉して水を入れると水温が50度にもなり、土壌殺菌・殺虫になる。

 露地の葉物野菜は害虫の密度が下がる9月中旬以降に植付が始まる。このように季節に合わせた栽培を行うと他の地域と収穫時期が重なるので高価格はつけにくい。しかし、ここの人たちはそんなことには無頓着で自然に合わせた栽培にこだわっていた。伝統的な農業では病害虫が少ない時期を選んで栽培を行ってきた。それが旬である。白菜や大根は秋冬に採れ、キュウリは夏に採れる。それが最も自然に近い農法なのだ。従って旬の栽培では農薬が少なくて済むので繁茂君にとってはそれほどいいお客さんではない。

 

帰り道にて

 振り返ると農場の出入り口を示す鳥居の向こうに静かな田園が広がっていた。かっては日本のどこにでもあった風景が、実態は全く変わってしまっていたにせよ、ここには残っていた。(写真はインターネットより採取)

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